『トゥ・ザ・ワンダー』

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美しいヒロインが見たい、美しい映像が見たい、という原初的な欲求に忠実に従った映画。難解と評する声が多いが、ストーリーはとても単純だ。フランスで恋に落ちた男女が、アメリカでその関係を終わらせるまでを描いている。前夫との間にできた10歳の娘の存在、男の幼なじみで農場を営む女性との再会など、愛の障害となる添え物はありふれたものだ。愛のはじまりはなんと素敵なことか、そしてその素敵な愛はどうして永遠に続かないのか、ということだけが2時間近く語られる。

 

だからこそ、ハビエル・バルデム演じる神父の存在が気になる。女は神父に、うまくいかない愛について告白するのだが、神父は何の答えも持ち合わせていない。実は彼もまた、神への信仰について疑問を持ち、大きな苦悩を抱えているという設定だ。男女についての話だけで十分のような気がするのだが、この神父が悩むシーンが結構出てくるのでちょっと困惑してしまう。神父はふたりに積極的に介入せず、ただただ自分のことについてのみ悩んでおり、物語上は中途半端な存在に見える。

 

だが、監督のテレンス・マリックが描きたいのは、男女の成就せぬ愛ではなく、神への信仰の問題だ。男女の話は信仰の問題をオブラートに包んだ比喩でしかない。始終続く女のモノローグは、愛の悩みであると同時に、信仰の悩みと同じものだ(ここに「難解さ」が入り込む隙がある)。監督の前作『ツリー・オブ・ライフ』では、ある一家のささいな物語をわざわざ天地開闢みたいなマクロな視点まで大風呂敷を広げていた(映画館で見たが、恐竜が出てくるシーンで笑いが起きていたのが印象深かった)ことを思い出す。しかし、なぜそんなに大風呂敷が必要なのだろう?家族やカップルのごくごくパーソナルな問題を、なぜそこまで大袈裟に描かなくてはならないのだろう?

 

信仰についての物語に見せないために連れてこられたオルガ・キュリレンコレイチェル・マクアダムスはとても美しくエロく撮られており、そのカモフラージュは大成功していると思う。そして、ベン・アフレックのダメ男ぶりもはまっていた(結局いちばんの悪は煮え切らない態度を取り続けるアフレックだったのでは?と思うのだが、そう思わせてしまうのは逆に失敗なのか)。