『夢と狂気の王国』

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スタジオジブリのことをうまく言い表したタイトルが素晴らしく、とても期待していたのだが、ちょっと期待外れだった。面白くないわけではない。『風立ちぬ』という映画についてのドキュメンタリーとしては、完成大詰めの作業のあたりが急に駆け足で紹介されている以外は申し分なかったと思う。

ただ、やはり見たかったのは「狂気」の部分で、この映画の失敗点はそのジブリの狂気の部分に踏み込めなかったことではないか。宮崎が「性格破綻者」と呼び、「完成させたくない」という『かぐや姫の物語』の公開を夏から秋に延期させた高畑勲の存在が、この映画の中ではとても希薄だ。ジブリのアニメーターが宮崎と高畑の関係を光と影になぞらえて語る場面があったが、その影の存在である高畑(どちらが光でどちらが影であるか、そのアニメーターは言外に濁していたが)は、カメラにちゃんと収められていない。宮崎は1日に1回は高畑の話題を口にし、鈴木敏夫や『かぐや姫』のプロデューサーである西村義明ら周囲は高畑の作業の遅れに何度もやきもきするのだが、高畑はなかなかカメラの前に姿を見せない。『風立ちぬ』を完成させた宮崎の前に現れ、労をねぎらうところくらいか。そのときに、宮崎駿鈴木敏夫との出会いがあったから今自分はこうしていられる、と高畑が語るインタビューが重なる。そこだけ。丹念に追う宮崎の現場には混乱はなく(あったとしてもこの映画には存在しない)、制作の遅れで混乱してるであろう高畑の現場は一度も映らない。『風立ちぬ』の主人公である堀越二郎の声を庵野秀明にやらせたくだりだけでは、狂気の表現としては物足りなかった。

一番面白かったのは、宮崎吾朗が新作の企画について打ち合わせてるとき「自分はこの業界に間違った形で入ってきたというか、何か自分だけのモノを作りたくてジブリに入ってきたわけじゃない。ジブリの人間を食わせていくために映画を作らなければならないって、俺のことどう思ってんの?それはプロデューサーの仕事だろ!」(大意)とプロデューサーをやってるらしい川上量生にキレていたところか。駿が「僕はオタクじゃない」って断言してたとこも感慨深い。

新宿バルト9のロビーでは、ジブリをイメージした庭ができていた。バルト9はロビーにこういうものを作れるスペースがあるなら、終映後のエレベーター付近の混雑を何とかしてほしいのだが…

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追記

狂気って、宮崎が「呪われた夢」だというアニメーションを作り続ける(それが不幸せな人生を招こうとも)ことや、『風立ちぬ』が戦争反対の戦後民主主義教育を受けつつも戦争兵器への偏愛を抱く宮崎の葛藤の上に成立していることなのかとぼんやり思い出した。そうした作家の個人的な業と、会社組織であるジブリとの軋轢みたいなものがもう少し見たかった気がする。